これは大変だ…!『英語化は愚民化』を読んでこう考えた

先日、施光恒さん著の『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる (集英社新書)』を読みました。

一見挑発的なタイトルですが、主張されていることは本当にもっともで、日本の将来は大丈夫だろうかと、心配になるような内容です。

日本はもともと英語教育に対する熱がすごいですが、近年特にその傾向が強くなってきています。最近では、日本の英語教育を政府レベルで改革しようという動きが顕著になってきました。

例えば、小学校での英語教育必修化。高校では、英語のみで授業を行うこと(オール・イングリッシュ)が推奨されるようになりましたし、中学でも同様の授業が検討されているようです。大学でも、英語だけで授業を行うスタイルが導入されるようになってきました。

「英語化は愚民化」の著者の施光恒さんは、この「英語化」の動きに警鐘を鳴らしています。

 

英語化が進むのは問題なの?

私たちには一見、こうした動きは悪いことではないように見えますよね。

アサコ先生
! 日本人は英語が苦手な人が多い。グローバル化の時代、もっと英語教育に力を入れ、英語ができる、世界で活躍できるような日本人を増やしていきたい。

私はそう思って日々英語を教えています…。こう言えば、聞こえはとてもいいです。

私自身、学校の従来の英語教育に不満を覚えるところがたくさんありました。英語を日本語に解釈して理解するだけの表面的な勉強では、本当の英語力は身に付かないと思っているからです。なので、コミュニケーションを重視した英語教育に改革していこうとする動きはいいことだと思っていました。

そう、これが、私たちの思うような、従来の英語教育を効率化させよう、もっと改善していこうという目的ならいいのですが、残念ながら意図が全く違うようなのです…。

施光恒さんによれば、政府は、国民一人一人の将来を考えた上でこうした英語教育政策を打ち出しているというわけではない。政府が英語教育に力を入れているのは、新自由主義的な経済政策の一環だからなのだそうです。

新自由主義というのは、各産業の規制をできるだけ緩和していくことで、企業の活動を行いやすくすることを重視した政策の考え方です。

例えば、日本では、義務教育は中学まで無料で受けられますよね。高校と大学は公立と私立がありますが、公立は学費が安いため、ある程度のお金があれば、子どもを高校と大学に行かせることができます。病院での診療も、保険に入っていれば3割負担で済みます。これが可能になっているのは、国が政策として、学校や病院を一定数国営にしているからです。

もし、このような仕組みがなかったら、お金のない人は大変です。民営のみの病院や学校しかなく、保険の制度がなかったら、費用はどうしても高額になります。そうなると、お金のない人は、病気になっても治療を受けられませんし、高等教育を受けることも難しくなります。

そして、田舎からは間違いなく、学校と病院は消えますよね。人口の少ない所では、利益が見込めず、民営ではやっていけません。

全てを民営化せず、教育や医療など、公共性の強い分野を公的機関に任せているのは、国民の基本的人権を守るためだと言えます。

しかし、新自由主義においては、こうした仕組みはビジネスを広げるための障壁とみなされます。公的機関が担う分野を縮小させていくことで、企業が自由に参入して競争できるような自由市場にしようというのです。

問題は、新自由主義のもとにおいては、経済格差が生まれやすく、不平等が広がり、社会が不安定化していく傾向にあるということです。

どうやら、今回の英語教育改革も、その一環のようなのです。

 

英語化によって格差が拡大する、だけでなく・・・

そう、言語もビジネスを広げるための障壁とみなされているのです。海外から見れば、日本語はビジネス進出の障壁ですよね。英語しか話せない外国人にとっては、日本で働こうとしたり、日本に企業を進出させたりすることはなかなか大変です。

でも、日本人がみんな英語を話せるようになり、日本の企業の公用語が英語になり、市役所でも病院でも、英語での対応が可能になったらどうなるでしょうか?

多くの外国人、そして外国資本が日本に入ってくるようになるでしょう。

それこそが政府のねらいのようなのです。

それだけなら、

シンさん
日本が国際化していいじゃないか !

 

と思う人もいるかもしれません。しかし、問題は先ほど述べたように、格差と不平等、国民の間での分断が広がってしまい、日本が暮らしにくい社会になってしまうということにあります。

高校や大学がオールイングリッシュになれば、英語ができない人は、教育の機会が奪われてしまいます。そして日本内の会社で英語が公用化されていけば、英語ができないというだけで職業選択の幅が少なくなってしまいます。

つまり、英語ができないと、実に不利な立場になってしまうような社会になってしまうのです。

英語が苦手な人は、英語に勉強時間を取られてしまい、他の分野の勉強をする時間が削られてしまいます。思考能力は言語能力と関係があります。母語で考えることができなくなると、高度な思考がしづらくなります。その結果、日本がその高い教育水準でつちかってきた、ものづくりの力や経済力が落ちてしまうことが危惧されます。

また、全ての教育機関で日本語よりも英語が重視されるようになれば、日本語が「劣った言語」だとみなされる可能性が高くなります。そうなると、日本人としてのプライドやアイデンティティ、自信がそこなわれてしまいます。

途上国では、地元の言葉では教育を受けることができず、英語のみで教育を受けているところも少なくありません。そのような国では、子どもは、自分の母語を劣った言語だとみなすようになるそうです。

日本語で高等教育を受けられるということは幸せなことなのに、日本は逆を行こうとしているのですね。

さて、施光恒さんは他にもいろいろなことを指摘しているのですが、キリがないのでこのあたりにしておきます^^;

ここまで書いて、さて困りました。私の仕事は英語を教えることです^^;

英語を学ぶ人が増えるということは、その現象だけを見るなら、個人的にはうれしかったりもしますが、その結果として、日本に経済格差が広がり、不平等で不安定な社会になってしまうのだったら、そんな政策はお断りです。

施光恒さんの言うとおり、

アサコ先生
「英語が下手でも安心して暮らせる社会」を作っていきたいですね。

 

小学校の英語必修化は全く必要ないと思っていますし、全員が全員、英語を勉強する必要はないと思っていますよ!

好きな人だけ、勉強したい人だけが英語を勉強すればいいんです。苦手なものを強いられる社会なんて、勘弁ですよね。。。私は数学が苦手でしたから、もし一生数学を勉強しないといけない社会になったら地獄だろうなと思います、汗。

 

ではどうすれば良いのか?

そこで、

アサコ先生
私ができることは何かなあ?

とつらつら考えてみました。

ひとつ思うのは、英語学習をきっかけにして、日本語や日本文化の素晴らしさに改めて気づけるような、そんな学習を支援できたらいいなということ。

間違っても、英語が「優れた」言語で、日本語が「劣った」言語だと、子どもたちが思いこんでしまうような、そんな教育にならないように、英語を教える人たちは、すごくすごく気を付けないといけないと思います。

私たちはただでさえ、アジア人コンプレックスが埋め込まれているような気がするんですよ。英語圏もしくは英語=カッコイイ、日本もしくは日本語=ダサイ、みたいな…。

EQ英会話の本城さんだったかな、本に書いていたような気がします。洋服カタログの雑誌で外国人モデルを起用するのは日本だけだって。白人に対する、どこか憧れってありますよね。それが、どこかコンプレックスにもなってしまっている。

また、よくあることとして、外国に行くと、外国のいい所だけが目に入ってしまって、日本の嫌なところが目についてしまったりしますよね。「外国はこうなのに、日本はこうだ、もっと外国に学ばないとダメだ」みたいな議論って、ありがちではないでしょうか?私も時々やってしまいますけどね^^;

もちろんそれは事実だったりしますが、そうした物言いが、「英語(もしくは英語圏の考え方)の方が優れている」という方向付けにならないようにしないと…。

言語を通して比較文化を学び、英語圏の良さや日本の良さに気づき、それぞれを相対化していけるといいんじゃないかなと。

政治を変えるということは、なかなかどうにもなりません…。

でも、何を目的に英語化をしようとしているのか、その意図に自覚的になって行動することはできますよね。

日本語、日本の文化、日本の産業、日本の伝統は意地でも守っていかなくちゃ。

今の英語教育はもっといい方向に改革していってほしい!でも、

アサコ先生
グローバリストの手先にはならないぞ!!

 

私の今日の叫びでした^^;

 

 

続きの記事はこちらです。

比較文化に関心のある方は、こちらの記事もどうぞ。

 
英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる (集英社新書)

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