私たちが必要なのは、教養としての英語?それとも、実用としての英語?

この20年から30年くらいの間、英語教育はかなり変わってきました。

一言で言えば、「教養としての英語」から、「実用志向の英語」に変わったんですね。

「これからの時代、英語は読めるだけじゃダメ。話せないといけない。」という教育の方向性に、私は基本的には賛成です。理由は、「外国の人とコミュニケーションできることに、外国語学習の面白さがある」と感じるから。どうせ英語を勉強しなきゃいけないのなら、その楽しさを多くの人に味わってほしいなあって思うからなんです。

けれど、英語がコミュニケーション重視になったことを憂いている英語の先生が多くいるようです。会話ばかりの英語の教科書になってしまい、話の内容がうすっぺらくなっていると。

これはこれで言いえているところはあると思います。実用志向になると同時に、教養がないがしろにされてきている部分というのは、英語に限らず、教育全般として確実にあるように思います。

実際、それでいいのだろうかというような思いがあるんですね。

 

コミュニケーションを重視した英語への方向転換→教養がないがしろにされるようになっている?

私が大学受験生だった10数年前。予備校の英語の長文読解の授業では、哲学や文学などのテーマを扱った文章を読むことがほとんどでした。フロイトとか、プラトンとか、ラッセルとか…。そうしたテーマを予備校の先生が解説してくれるわけです。

哲学などの素養がほとんどない当時の私にとっては、かなり難しい英文でした。英語は得意科目だったから、単語力もあるし、文法もある程度の知識はあったんですけど…。それでも、解説してもらわないと、自力ではほとんど読めないような難解な英文だったのを覚えています。

今書店に売っている英語の長文読解問題集からは、そうした哲学を扱ったようなものはほぼ消えました。代わりに、環境問題や社会問題など、時事的なテーマを扱った英文ばかりになりました。

(時事テーマも「教養」ですが、現代の問題という意味でかなり限定的になっていますね)

約10年前には、入試にリスニングテストが導入されました。近年には、スピーキングテストも導入されるという話もあります。日本語から英語に直すという問題も少なくなりつつあり、それよりも英語で自分の考えを書かせるような自由英作文が増えてきています。

つまり、古典や文学のような教養のための英文は重視されなくなった。代わりに現代英語、それもコミュニケーションのための英語に比重が移ったわけですね。

(高校の英語の教科名も、3年前に「コミュニケーション英語」と「英語表現」に変わりました」

それはおそらく、「英語は読めても話せない」という長年の英語教育に対する批判のせいもあるだろうし、グローバル化している今、「英語を使えないといけない」という風潮が高まっているからだと思います。

これはこれでまっとうな議論だと思うのですが…。

でも、何かもっと大きな意図を感じるんですよね。

 

コミュニケーションのための英語と教養のための英語。この2つは両立できないの?

コミュニケーション重視の英語VS教養重視の英語

英語教育の在り方をめぐって、この2つはしばしば対立されるように議論されているような感じがあります。

コミュニケーションを重視すると内容がうすくなると。そして、教養重視にすると、書き言葉中心になって、話したり聞いたりすることがおろそかになると。

でも、私はこの2つが対立するとは全く思っていません

英語を学ぶにあたっては、どちらも車の両輪のはずだと思うんです。

本当にコミュニケーションを重視するなら、哲学や古典、文学のような文化に触れておくことは大いに役に立つはず。それらを通して、文化や宗教的なこと、外国の生活習慣などが学べるのですから。そういった知識があってこそ、コミュニケーションがスムーズになるはずなのですから。

でも、今の教科書や入試の英文の中には、そういったものがほとんどありません。とにかく現代の社会問題を解説したような説明文ばかりなんです。まるで、文化的なことを扱ったものは排除されているかのようなのです。

日本のアニメとかのポップカルチャーの紹介はよくあります。ニュージーランドではキウイが国鳥になっているとか。そういう表面的な話はいくらでもあるのです。でも、国民性の違いとか宗教とか、つっこんだ内容は皆無に等しいです。

でも、こうした時代だからこそ、もっと文化について知るべきなのではないでしょうか?

 

教養が重視されなくなっているのは、英語だけに限りません。古典や文学、文化や宗教のようなものって、教育からどんどんはずされてきているような感じがするんです。それに関して、ちょっと危惧があります。

英語が実用志向に傾いてきているのも、その大きな枠組みの中にあるんじゃないかなと。ここに、意図的なものを感じるのは私だけでしょうか。

 

私自身、そういったものを学校で全く習うことができずに育ったので、自分の中に何か空白があったんですよね。

留学した時にそれを強く感じました。外国の文化もよく知らないし、自分の日本の文化もよく知らない。そのことに初めて気が付いたわけです。言語を知っているだけじゃダメだと。

 

文法もほとんど理解していない生徒に、哲学の名文を読ませ、難しい英文和訳に挑戦させて、英語嫌いを増やすのはいかがか…と思いますが、

一方で、ただ英語が使えるようになればいいというものでもないよね、と。

文化的な文脈が完全に排除されたTOEICのテストが、ここまで人気が上昇しているのも、時代の流れでしょうか。正直に言えば、個人的には少し残念な感じがあります。

実用英語が重視されるようになった今、昔重要視されていた古典や文学がなくなってしまったということを、どうとらえるべきか。

そういった教養を「いらないもの」として捨ててしまっていいのか。

そのことを、どう考えるのか。

そういった議論がもっとあってもいいのかなあと思ったりします。

みなさんはどう思いますか?

 

 

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