こんにちは、なみのリズムのアサコです。今日も日記みたいな感じで、ブログを書いていきます。関心のある方はお付き合いくださいませ^^
早いもので、もう6月になりました。場所によってはもう梅雨に入っているようですね。
私はこの時期になると、ブルガリアにたくさんあった、さくらんぼの木を思い出します。日本では、さくらんぼは贅沢な果物ですが、ブルガリアにはそこら辺にさくらんぼの木が生えているんです。この時期になるとたくさん実が勝手になっていて、自由に取って食べることもできるし、街角で安く買うこともできる。しかも、赤いのではなくて、白いさくらんぼなんです。それが本当においしくて、今でも恋しくなります。
前置きが長くなりました。今日は、昔私の周りにいた「すごい人たち」を回想したいと思います。とんでもなく頭が良く、勉強がすごくできて、「どうしたらこうなれるんだろう?どうやったら、この人たちみたいに、外国語がペラペラ話せるんだろう!?」と思った人たちのこと。
最初にブルガリアの話をしたのですが、「すごいと思った人」が、まさに、大学の時少しの間ルームメイトだった、ブルガリア人の子なんです。私と同じくらいの学習歴なのに、ポーランド語がペラペラで、ビックリしたものでした。まあ、私とは頭の作りが違うんだろう…くらいに思っていたんですが、クリスマスに彼女の家に行く機会があって。そのとき、本当に、本当に、衝撃的だったことがあるんです。それはね…
彼女には、自分の部屋も、机もなかったんです。
彼女の家は、本当に小さな家で、本当に小さな台所と、食事をする部屋と、ベッドがある部屋と。家族4人で、部屋が3つしかないんです。
どこを見ても、机も参考書もなく、そもそも勉強できるような場所がないんです…。
大学の図書館とかで勉強してるのかな…とも思ったんですが、語学だから、声に出す練習がたくさん必要じゃないですか。一体どうやっているのかわからなくて、もう本当にショックでしたね。
もう一人、一緒に来ている留学生の男の子がいたのですが、彼の暮らしている寮を見てまたビックリしたものです。というのも、彼の寮は3人部屋で、ベッドが3つあるだけの、小さな小さな部屋だったから(※20年前の話です)。6畳くらいの広さしかなかったんじゃないかな。椅子はあったかも。
彼もまたペラペラで優秀な生徒だったのですが、この男三人のむさくるしい部屋(失礼!)で一体どうやって勉強しているのか…。全くの謎であり、またまたショックを受けました。
「大学の授業があまりにも素晴らしく、授業を受けているだけでしゃべれるようになっちゃうとか?」と思ったりしましたが、そうでもなかったようです。 彼らと同じ大学の別の子たちと話をしましたが、それほどペラペラではなかったから…。他の子と比べて、あきらかにこの2人が断トツで優秀だったのです。一体どうやって勉強しているのか質問したのですが、あまりよく覚えていません。ただ、この2人がものすごく努力している、ということだけはわかりました。
それでですね。自分だけの勉強部屋があるのは当然のこと、今って、スマホのアプリでいろんな英語学習教材があるし、ネイティブに気軽に質問出来たり、会話できる環境もあって、教材もたくさんあるじゃないですか。学習法の説明も丁寧だし、デザインもすごく良くなっているし。昔と比べたら、英語学習の環境ってかなり恵まれているんですよね。
だけど、優れたツールや環境なんかなくても、本当にできる人ってできるようになるんですよね。別の言い方をすると、どんなに優れたツールがあったとしても、力を伸ばせるかどうかって結局は本人次第なんだよなって、よく思うんです。
私自身もそうですね。私は、ただ文法が他の人よりちょっと得意なだけ。そして本を読むのが、他の人よりも少しだけ、好きだっただけ。それで、そこそこ勉強してここまで来れたけれど、それでも、ブルガリア人のあの2人の、(もう20年も前の!)あの子たちの語学力に比べたら、まだまだなんだよなぁって思ってしまうんですね。いつまで経っても、彼らに追い付ける気はしません…。
そう、時々彼らのことを思い出しては、「環境なんて関係なく、自分の意志さえあれば、なんだってできるんだ」と思うんです。
ソメイヨシノの小さな小さなさくらんぼが、道端に無造作に落ちているこの時期。誰も気にも留めやしない、ソメイヨシノのさくらんぼを、背を伸ばして、なんとか取ろうとして。おいしくないのはわかっているけれど、ブルガリアのあのさくらんぼを味わいたくて、実をじっと見つめてしまう。
自分には手に入らない能力を、味わいたいけれど、味わえない。その感覚に似ていて、少し切なくなるんです。
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