こんにちは 🙂 なみのリズムのアサコです^^
英語を習得するためには、英語の発想を学ぶことが大事です。
日本語訳に頼っていたら、いつまでたっても英語はマスターできません!ですから、このサイトでは、日本語訳に頼った英語の理解から脱し、英語を英語、もしくはイメージで理解するための方法をお伝えしています。
さて、今日は助動詞を通して、英語ならではの考え方=論理思考を学んでいきます。

例えば、会話やメールなどで、相手に何かを伝えようとするときに、やんわりと提案するのか、強く提案するのか、あることを事実として述べるのか、自分の推測として言うのか…。
大分、状況が変わってくるでしょう?
助動詞というと、should 「べきだ」、must 「しなければならない」、will 「するつもりだ」、「~だろう」…というような感じで、中学校で習いますが、実際はこんな単純なものじゃないです、汗。
概して、日本人は適切に助動詞を使うことが下手であるように思われます。
これは、英語と日本語とで思考方式や話し方がちがうからではないでしょうか。
では、見ていきましょう。
助動詞の使い方を見れば、ネイティブの思考がわかる!
先ほども言いましたが、概して、日本人は適切に助動詞を使うことがあまりうまくありません。
これは私自身も例外ではなく、ライティングの練習として、時々ネイティブ・スピーカーに作文をチェックしてもらっているのですが、いまだに間違えます(笑)
文法はかなり勉強したので、時制や構文とかで間違えることはほとんどないんですけど、最後まで間違えるのが助動詞なんですよね。
なぜかというと、日本語には、英語のような助動詞の使い分けがないからなんです。使い分けというよりも、思考の仕方、話し方がちがうからと言ったほうが適切ですね。
英文を読むとき、単に日本語に訳しているだけだと、この使い分けに気が付かないんです。
だけど、よくよく考えてみると、日本語で「~かもしれない」と訳したら不自然なところにmayがついていたり、canがついていることってよくあるんですね。
そこで通り過ぎずに、「ネイティブはなぜここでmayを使っているんだろう?ここではcanを使っているけど、そのちがいはなんだろう?」と観察することが大事です。
使い方を観察することで、ネイティブ・スピーカーの思考方法が見えてくるからです。
あなたが言っていることは事実?それともあなたの意見?
断定してしまいがちな「クセ」に気づこう!
日本語は、断定することの多い言葉です。
事実ではなくても、「~だ」って言いきってしまうことがよくあるんですね。
たとえば、相手に「疲れてるね」と言いたいときを考えてみましょう。
日本語を直訳すると、”You are tired.”になりますよね。
でも、これだと決めつけになってしまいます。疲れているのではなくて、ひょっとしたら機嫌が悪いのかもしれませんよね。
相手のことは、相手にしかわかりません。だから、「(自分には相手が)疲れているように見える」→”You look tired.”と言ったほうがいいわけです。
これは助動詞の例ではないですが、断定の例としてわかりやすいので挙げてみました。
断定することの多い日本語を使う私たちは、英語でも同じようにbe動詞を多く使ってしまいがちなんです。
助動詞でも同じように、助動詞を使うべきところで使わずに、ついbe動詞を使ってしまうことがよくあります。
その例として、私の失敗例を見てください。
(1)△ Secondly, “Staging” is bribary.
「Stagingはわいろです」
(2)○ Secondly, “Staging” can be seen as bribary.
「Stagingはわいろだとみなされる可能性があります」
この英文は、「会社が例えばお金を渡して、消費者に商品のレビューを書いてもらうこと(Staging)についてどう思うか」というお題で書いたエッセイの中の1文です。最初の文が私が書いた原文で、2番目の文が、ネイティブの人に直してもらったものです。
1番目の文では、断定してしまっていますよね。でも、「わいろだ」と言ってしまうと、それが事実だという決めつけになってしまいます。
でも、人によって意見は分かれるかもしれません。「わいろではない」と言う人もいるかもしれない。だから、ここではcan be seen as…を使ったほうが適切なんです。
でも、日本語でこういう使い分けってあんまり考えないんですよねー。ついつい、「これは~だ!」とか、「これは間違っている!」とか言ってしまいがち。だから、間違えちゃう^^;
英語で考えるって、とっても論理的になることなんですね。

Will? May? Can?どれを使う??
次の文は、同じく私が書いた英作文の修正例です。「ロボットが将来社会にどう貢献するか」というテーマで書いた中の1文です。
Robots will may be able to take over our undesirable jobs.
「ロボットは、私たちの面倒な仕事を引き受けてくれるだろう」
ネイティブは、「ここでは willではなく、mayを使うべきだ」と言います。なぜかというと、「絶対にそうなるとは限らないから」、とのこと。
まあ…言われてみれば確かにそうかもなーっていう感じなんですが^^;
willって実は、結構限定的で、主観的な強い表現なんですよね。
「かなりの確率でそうなる!」というときに使う表現なんです。
日本語ではwillは一般に「…だろう」って訳されています。でも、「…だろう」って大分弱い感じがしませんか?日本語の「だろう」の英訳は、意外とmayの方がふさわしいのかもしれない、と思う今日この頃です…。
ここにも、日本語訳のワナがあるわけですよ^^;
私は、willを使ってしまう傾向が強くて、mayに直されたり、couldに直されることがよくあります。最初に習ったwillの「だろう」という弱いイメージが強く残ってしまっていて、いまだに払しょくできていないのです。
もうひとつ例を挙げてみます。
「手紙は50年後になくなるか」というテーマで書いた文の中の一部です。
The act of physically writing a letter to someone will can give feelings of connection to that person.
「実際誰かに手紙を書くという行動はその人へのつながり感をもたらす」
これもwillじゃなくて、can。
なぜかというと、手書きの手紙がすべてそういう感じを与えるかというと、そうではないから。例えば、汚い字で書き殴ったような手紙だったら、つながり感もなにもないですよね^^;
こうした使い分けが、日本人にとっては結構やっかいなんですね。あー、むずかしい。
この使い分けができるかどうか、というところが論理的思考なんですね。
さて、助動詞をまとめてみると、次のようになります。
be動詞→100%事実としての断定。
will→「かなりの確率でそうなる」、「かなりの確率でそうする」という推測や意志。
mayとcan→「50%くらいの確率でそうなるだろう」という推測や可能性。
mightは「20~30%くらいの確率でそうなるだろう」という推測。
wouldやcouldはwillとcan、それぞれの意味合いを少し控えめにしたもの。
ちなみに、mayやmightは特に根拠のない推測です。一方、canは根拠のある推測もしくは可能性です。
例えば、この2~30年以内に日本で大地震が起きるというのは、研究で可能性として示唆されていることですよね。この場合はcanです。でも、例えば誰かに電話して出なかったとして、「忙しいのかな?」と推測したりしますよね。これは、根拠のない推測です。この場合はmayを使うわけです。

あなたが言っていることはただの推測?それとも可能性?
日本人は、よく「議論が苦手」だと言われます。
一方、西洋の人たちは、小さな頃から議論に慣れていて、客観的な説明をすることやデータを使って根拠を示すことに慣れているように思われます。
鈴木裕さんの『ビジネスにおける異文化理解考 ;ことばへの影響』によると、日本人は「話の中に事実と感情が混在」しがちであり、アメリカ人は「主張を支持する客観的な説明」をすると言います。
これがまさに、日本人が助動詞を苦手としている原因になっているのではないかと思っています。
ちょっと政治的な話になりますが、最近、安保法案の是非をめぐって、大きなニュースになりましたよね。
安保法案を支持する人は「法案を通せば日本の平和は守られる」と言い、反対する人は安保法案を「戦争法案」とうたい、「安保法案を通せば戦争になる」と言っていました。
yahooのニュースでコメントなどを見ていましたが、ほとんどのコメントが、自分の意見について、will/would、can/could、may/mightの区別を意識していないことがほとんどなのです。
法案を通したら絶対に戦争になる=will/would
法案を通したら戦争になる可能性がある=can/could/may/might
法案を通したら絶対に日本は守られる=will/would
法案を通したら日本が守られる可能性がある=can/could/may/might
みんな、「こうしたら絶対こうなる!」と思っているわけです。これはwillであって、そこには、can/could、may/mightのような言い方がほぼありませんでした。
でも、よくよく考えてみると、これはほとんどの場合、canかmayなのではないでしょうか。自分の意見はcanやmayかもしれないという意識があれば、お互いもっといい議論ができると思うのですが…と悶々としましたが……。
それはおいておいて。まさに、意見の中に感情を混在させ、決めつけて話をしているわけです。これは日本人の癖ともいえると思います。
こうした物言いは日本の文化の一部なので、いい悪いの話ではありません。
でも、こういう議論の仕方を、外国人とのビジネスに持ち込むと、思考形式がちがうイングリッシュ・スピーカーの人たちと、齟齬が生じてしまうわけです。
大事なことなので、自分への戒めも込めてもう一度言いますが、英語を使って意見を述べるときには、客観的に、そして論理的になる必要があります。
自分の意見は、ただの自分の思い込みなのか、それとも希望的観測なのか、それとも事実として存在している可能性なのか…。
日本語で考えるときにも、「これはwillなのか?canなのか?」を考えるようにしてみてください。そしてこれからは、ネイティブが使う助動詞をよくよく観察してみてください。
そうすれば、この使い分けがわかるようになるはずです!
私もまだまだ未熟ですので日本語にとらわれてよく間違えますが^^;
私の失敗例から学べるように、これからも気づいたことをこのブログでシェアしていくことで、精進していきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします^^
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